New Yorkでの個展について 2009年6月

New Yorkでの個展は一つの通過点であるとは思いますが、その経緯を書いてみます。

始まりは個展「愛する人のための三つの病について、あるいは意味の不在と無意味の存在について」です。これは本格的な最初の個展であってかなり気合いが入っていて、自分ではやりたいことができたと思っています。そんなこともあって、「これだけのものはぜひともNYでやるべきだ」という話が出て来た時は、すっかりその気になりました。

では具体的にすすめるにはどうするのか。

(1)NYのために。

まずはS塾の先輩でありNYに2年程いたというK氏にお伺いをたてると、「300万はかかる」とのことで、ならば200万でできると思いましたが、その前に写真を俺に見せてよければ、さる人物に紹介するとのことでした。
そんなことをしていたら100年かかると思い次に進めました。

僕の写真を気に入ってくれたS氏にNYの話をすると、NサロンのT氏を紹介するとのことで、2人で会いにいきました。
そしてたまたま近いうちにT氏がNYへ行くというので、少々強引に現地で落ち合うことにしました。

それと平行して仕事の関係で知っている(今はありませんが)Y市中小企業指導センターのT氏に、作品の一つがマイクロファイバーのシーツだったので、それをみせて仕事の関係で、NYで個展をやりたいと話しました。
そしてY市のNY出張所があるのでそこのH氏を紹介してもらい、メールと電話で連絡を取り、NYでギャラリーを探してもらうことにしました。

大学の写真部の友人の同級生でNYで成功したM氏、S塾の人の紹介のNY在住のK氏。

正味2日間のNYですが4人の人物と会うことになりました。

(2)初めてのNY。

2005年2月、エコノミーでの12時間の苦役ともいえる飛行を終えてNYに着くと、朝であるはずが夜であったりする時差との戦いが待っています。

眠れない夜が終わり、ホテルの側のデリでM氏と会うと、彼はNYでの素晴らしい可能性を語ってくれました。彼は若い頃、世界を放浪した後、NYに来てコン ピューターのソフトの会社を作り、郊外に家を持ち、家庭を持ち、活躍されていましたが、残念なことに去年(2008年)この世を去ってしまいました。

ホテルはカーネギーホールの側、セントラルパークも近く、そこではクリストの「門」が開催されていました。セントラルターミナルの近くのY市のNY出張所のあるビルまで歩きました。途中でNY出張所のH氏から確認の電話があったり、今回、携帯はたいへん役に立ちました。

最初のギャラリーはまだ新しく、NY在住の日本の写真家S氏が自身のスタジオをギャラリーにしている所で、レンタル料は安いし、場所もよいけれど、どうもギャラリーとしての風格みたいなものが感じられませんでした。

次はチェルシーと呼ばれる地区にあるCaelum Galleryに行きました。かつて倉庫であったビルに沢山のギャラリーが入っていて、この地区はNY観光の一つでもあります。日本人のT女史とアメリカ 人の旦那の経営で、明るく広く、3分の1を2週間借りて50万はいかがなものかと思いましたが、結果としてここに決めました。2005年12月の開催で す。

次の日はNサロンのT氏と一緒に来ていた比較的若い写真家C氏と共に何件かのギャラリーとMOMAへ行きました。さすがにT氏は顔が広く、知人が沢山い て、NY在住の作家達や池田満寿夫美術館の若い学芸員N氏らと昼食をとり、彼等と別れ3人でMOMAへ、そこではT氏の知り合いの学芸員が館内を案内して くれました。夜も誘われましたが、携帯が鳴り、夜はK氏と会うことにしました。

ホテルでぐったりしていると携帯が鳴り、タクシーで待ち合わせ場所へ、その時初めて会ったK氏は10年あまりNYにいて働きながらアートを学んでいて、今は写真を勉強しているとのことです。英語が堪能でアートの素養もあるので何か協力できればとのことでした。

明日の朝早くホテルを出てNYを立つので、残念ですが早めに戻りました。

(3)2回目のNY。

来日したCaelum GalleryのT女史と展示する写真の大きさや題名を決め、個展の名称もOne Dayに決め、いよいよ12月の開催です。

2005年12月、2度目とは言え、12時間の苦役を終えてニュージャージーの空港へ降りると、雪のNYへ。
今回はクリスマスシーズンで値が上がり予算を押さえたため、場末のDAYS INNでした。

翌朝はRooneeのS氏の紹介のF氏、元日本航空のNY支社長で日本クラブの名士であったりする大変な人なんですが、その方とその日本クラブで会って日 本クラブのギャラリーでやるには200万かかるが、それだけのことはあるとか、細江英公氏とは友人であるとかの話を聞きました。

F氏の案内でメトロポリタンミュージアムへ行き、あの広い展示場の4分の1も見れなかったと思いますが、心霊写真を集めた部屋やスーラのデッサンを集めた 部屋がありました。世界は狭いです。なんとそこでS塾の仲間のH氏夫妻に会ったではあーりませんか。H氏やF氏と別れ、明日パーティがあるCaelum Galleryへ向かいました。

翌日は奔放なチベット曼荼羅を集めたミュージアムへ行ったり、知人に紹介された日本人経営の美容院へ行ったりしました。この美容院は割と広めのロビーが あって、そこで作品の展示をするので、やはり現場を見なければと伺ったのですが、ギャラリーでもないのに費用が発生するし、小じゃれた置物等を売るには良 いかなと思いました。

さて、パーティはとなりの部屋で展示している日本の彫刻家と合同で、その人の友人のミュージシャンが歌い、それなりに盛り上がりました。NY在住の若いアーティストも何人か来ていました。

パーティも終わり、ギャラリーを出てエレベーターまで来ると、遅れて来たK氏がちょうど降りてきたところでした。それからパーティに来ていたH氏夫妻と4人で食事をしてホテルへもどりました。

翌朝はよく晴れ、空港へ向かう対岸のニュージャージーから見る朝日の中のマンハッタンはとても美しく感じました。
前回とあわせて正味4日のNYでしたが、大変充実した日々でした。

無事終了したOne Day。発案から1年と2ヶ月、費用は2回の渡航と合わせ80万。
NYでやると言い出すと、いろいろな人と会うことができて、楽しい時間が増えたことは確かなことでした。