こだわりの渦巻はどこかへ行ってしまったのだろうか。いや、どこへも行きはしない。全ての内部に入り込んで物質と精神を結びつけるとても大切な役割を担っ
ているのだ。まさにこれは「渦巻理論」とでも言うべきものであって、人間の本質を鋭くとらえ、世界の本質を正しくとらえることができるのだ。
微小な渦巻は目には見えないがダイレクトに心の奥深くへ侵入してその精神の鼓動に直接触れることができる。消え去ったわけではない。そして渦巻はいつもでも我々の友達であり続けるのだ。
などと、うそぶいていた時は急速に去って、ラーメンの時となった。こだわりの性格は不幸の始まりなのだろうか。ラーメンの文字が執拗に現われる映像は何なのだろうか。結局は何も無いことの延長であった。ラーメンの時は本当に急速に去っていった。
一つ言えることは、一枚一枚の映像はその元となる写真を撮った時の心が強く反映されているはずである。一枚一枚の映像を作り上げる時には常にその時の気持ちが働いているからである。少なくとも、そう確信している。
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