「SELF -日々の闇/日々の光-」に出品した2つの作品について--------藤谷美貴雄
2006年7月3日(月)〜7月29日(土)NADAR/SHIBUYA355にて須田塾グループ展に参加。
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私の作品はいつもそうであるが意味のない極めて感傷的なものである。
左が「布団が吹っ飛んだ1」であって、右が「布団が吹っ飛んだ2」となる。

以前に須田塾のA氏から私の写真の題について例えば「布団が吹っ飛んだ」みたいなオヤジギャグを題にすれば。との 提案があった。例えばとの提案であったが、この「布団が吹っ飛んだ」は70年代のころの勢いも感じられるし、多分代表的な傑作の一つでもあるし、他に思い つかないこともあって、結果として私としては意味のある題名として使用することになった。「朝日の中で」でもよかったが、この作品がなぜ「布団が吹っ飛ん だ」あるいは「朝日の中で」なのか。富士山を背景に見事に布団が吹っ飛んでいるその横に老婆がたたずんでいる写真があってその題が「布団が吹っ飛んだ」で あってもそれが意味のある題名であるとは思えない。まったく痕跡すらも感じられないものにこそ意味があってうれしい。

素焼きの皿の上には葉と油の固まりがあって、指先の皮膚のざらつきを感じさせた。
私は濡れた羽を広げ飛び立つと、馬の影の下側を通過することができたから、蜂の針が持つ永遠性について数字の侵蝕と六枚の布を充ててみることができた。
さて、私のためのチタンのパンケーキは朝日の中で燃えていたから、そのままで街へ出た。通過するための水晶の大気はもはや無かったから、生のための香りの 粉になることができた。ゆっくりと歩いて行くと、しま模様に関する一枚の紙がつま先を静かに叩くので、海の上の擦りおろしたリンゴの石に答えをだすことが できた。そして揺らめく人の足が湾曲した光線のように走り、五本の小指のためのソナチネがさまよえる運河となって立ち去り、吹き抜ける荒野の雪が手のひら に止まった。

この私の体は旅館に泊まった時、普段は畳に布団を敷いて寝ることがなく朝起きて何となくうれしくて、何もない壁も よかったし、何も着ない習慣だからちょっと撮ったものである。オレンジは海岸に落ちていたもの。雨に濡れたドクダミは庭に咲いていたもの。雨の日の背景は 近くの自然公園でもある遊水池であって、どの色相も変えてあってどれもそうしなければならないものと信じている。額装をということであったが、お金もかか るし気に入ったのもなさそうだし、ドクダミ模様の枠にしてしまった。

参照すべきもの

実は当初別の作品が「布団が吹っ飛んだ1」「布団が吹っ飛んだ2」であったが、あまりよくないとの意見が多く、変更になってしまった。未練がましくそれをここに載せてみる。これらの方が勢いがあって「布団が吹っ飛んだ」に相応しいような気もする。


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