絵本「幸せは意味の不在」
絵本「メメーとベロベロン」から1年、自らの顔へのこだわりがすべてであった。
第39回東京展・絵本の部
2013年9月9日(火)〜9月15日(月) 東京都美術館にて開催(写真の部)
2023年の春ミッキオウは焼かれた白い骨の一部となって骨壺の中にいた。その壺は暗くて冷たい墓の穴の中にあった。生物はいつかは何かの理由で死んでし
まってこんなふうになってしまうのだ。まったく困ったものだ。こうしてカラスになった私は飛ぶこともできて自由を得たが生きるために残飯を漁るのが日課で
あった。意味の不在の意味について語ることにどんな意味があるのかは私にはよく分からないがやはりそれなりの意味を見出すことに意味があるような気がす
る。ある冬の日の干したプリントのシーツの上に赤く二つに割れた舌が並んでいる。たまたまとは言えこんなうれしい時は今まで無かったことだ。骨壺は暗くて
冷たい墓の穴の中にあった。人はいつの日か意味のある理由で死んでしまってこんなふうになってしまうのだ。カラスになった私だがカラスのことはよく知らな
いのが本当の所だ。ただカラスは人間に比べればかなりシンプルだと思う。またそうでなくてはいけない。白い骨粉となって壺の中にいる私は静かに眠って夢を
みる。それはこんな夢だ。壷の中で一番大きな骨を先頭に順番に並んであのスカイツリーに登る。つまらん夢だ。カラスの私あるいは私のカラスは黒一色の体で
黒い大きな羽を使って飛行を続ける。先頭の骨が言った。全部で何個なんだ。313個です。即座に返事があるのが気持ちいい。残りの細かいのは置いてきまし
た。そうか、この後神谷バーで宴会をやろう。予約は取ってあります。数は多いけれど小さいから問題はありません。カラスの私は外見は真っ黒だが実は骨も血
も肉も真っ黒であった。血は墨汁の如くである。嘘のような話だがこの事はまぎれもない真実。すべてが白い骨とすべてが黒いカラスとの出会いは隅田川。泳ぐ
骨と上空を飛ぶカラスもとはどちらも私である。けれども何かが起こるはずはなかった。カラスは上流をめざし骨は海をめざす。その後しばらくして富士山が爆
発した。グレーの球状の煙を何度か噴出したが大したものではなかった。木漏れ日の中に現われるのは思い出だけではない。骨とカラスからできた私のすべては
静かに現われると停止した時間の中で何も語ることはなかった。骨とカラスからできたこのベージュの空間では私はもうすっかり本来の私に戻っていて幸せな永
遠というものが存在している。富士山の爆発から3日たってベージュの空間の私はもののみごとに赤と青の空間に別れてしまった。こうして本当にすべてを手に
入れた私は何にでもなって困ったことに全くの自由になってしまった。ある冬の日私はさらなる自由を得た。永遠に停止した凍りついた自由だ。そもそもの始ま
りは二つに割れたヘビの舌をまねたところから出発した。それが何故こうなってしまったかは分からない。とにかくバイバイ、バイバイ。やっぱりバイバイ。
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