あの不毛の砂漠でさえ乾燥した大気と砂で満たされているのだから、われわれのこの満たされ過ぎた空間にはいったいどんな意味を見い出せばよいのだろうか。われわれが放棄してしまったこの溢れる意味に、誰もが耐えられるのだろうか。 あの頃のことを思い出せば。 写真で撮られたどんな映像にも情報があふれているのだから、それに見入ればかなりの感動があるのだ。と、そのことを発見したのだった。